名古屋飛行場の知識
名古屋飛行場 / 概要 / 歴史 / 路線 / アクセス / 航空管制 / 航空保安無線施設(国交省管轄) / 航空保安無線施設(愛知県管轄) / 上空の航空路 / 周辺 / 関連項目 / その他 / 外部リンク
概要
設置管理者は愛知県。行政区分上では西春日井郡豊山町、小牧市、春日井市、名古屋市(北区 (名古屋市)|北区)の3市1町にまたがっている。航空自衛隊小牧基地と敷地を隣接しているが、防衛省設置管理の共用飛行場ではない。航空交通管制|管制業務は、中部国際空港の開港と同時に飛行場管制業務と着陸誘導管制業務を防衛庁(現防衛省)に移管し、航空自衛隊小牧管制隊が業務を実施している。また、進入・ターミナルレーダー管制|進入管制業務とターミナル管制業務は国土交通省大阪航空局中部空港事務所が、中部国際空港からの広域管制によって実施している。1952年〜2005年にかけては、名古屋市の玄関口としての機能を持ち、日本国内の主要空港の一つであった。旅客ターミナル拡張にあたっては、国内線の新ターミナルを建設して、旧ターミナルを国際線専用とするという手法をとっているため、年代により建物の名称が異なるので注意が必要である。中部国際空港(常滑市・第一種空港)が開港した2005年2月17日以降は、国内・国際線はほとんどが新空港に移転、設置管理を国土交通省から愛知県へ移管、設置区分も第二種空港|第二種(A)空港からその他公共用飛行場に変更され、「名古屋飛行場(通称:県営名古屋空港)」となり、旧名古屋空港(現・名古屋飛行場(県営名古屋空港))のコードであった空港コード(IATA)・NGOは常滑市の中部国際空港へ移管され、ICAOコード|ICAO 4レターコードも旧名古屋空港のRJNNからRJNAへ変更された(なお、中部国際空港がRJNNになったわけではなく、中部はRJGGである)。また、前述のように一部管制業務を国土交通省航空局から航空自衛隊小牧管制隊に移管した。尚、定期便や国内・海外飛来機等の旅客は全て従来の国内線旅客ターミナルビルにて取り扱い、税関・出入国審査・検疫は1つの部屋にまとまった小規模なものを新設する。国際線旅客ターミナルビルは、わずか6年しか使用されず、中部国際空港の予定があったのになぜわざわざ建設したのか、という批判は根強い。しかし旧国際線旅客ターミナルの処理能力が限界に達していたのも事実で、ボーディングブリッジは旧国際線ターミナルのものをそのまま使用するなど、最低限の投資で建設された。移管時に閉館し、周辺敷地と共に空港から切り離され、商業施設エアポートウォーク名古屋としてオープン予定。名古屋空港内には名古屋空港内郵便局も併設されていたが、2005年2月16日をもって廃局となった。2005年2月16日には出発最終便である20:45発サイパン行きのチャーター機JAL8839便(折り返し中部国際空港到着の1番機JAL8830でもある)を航空会社・空港関係者がペンライトを持って見送り、大勢のファンに惜しまれつつ、第二種空港としての幕を閉じた。なお、2005年2月、日本航空グループのジェイエアが広島西飛行場から本社・ベースを移転し、ジェイエアの拠点空港となった。ジェイエアはワンワールドに加入しているものの、名古屋飛行場には、ワンワールドに加入しているジェイエア以外の航空会社は乗り入れていない為に路線接続に関しては問題が生じている。国内線ターミナル内の「名古屋空港航空宇宙館」は2004年10月31日に閉館となり、そこにあった航空機の一部は、2005年4月1日に豊山町の神明公園内に愛知県が建設した「航空館boon」に、引き続き展示されている。現在はビジネスジェットの就航に力を入れており、トヨタ自動車など地元企業を中心に利用されている。
1957年(昭和32) - 滑走路が2,740mに延長。 1960年 (昭和35)3月16日 - 全日本空輸|全日空DC‐3型機と航空自衛隊F-86型戦闘機が滑走路上で衝突、両機とも大破。3人死亡。 1960年(昭和35) - 第二種空港に指定され、名称が「名古屋空港」となった。 1994年(平成6)4月26日 - チャイナエアライン|中華航空140...
